はな通信NO47 平成30年 春号
毎年恒例の節分の豆まきでは赤鬼・青鬼が現れ、入居者様が力を合わせて鬼を退治し、“はな”に福を招き入れました。
豆をぶつける時の皆さんの表情は明るく笑顔であふれており、楽しいひと時を過ごす事ができました。
また、お花見では太宰府スポーツ歴史公園へ出かけました。
皆様満開の桜の木の下で思い思いに春の訪れを感じていらっしゃいました。
はな太宰府に於いても4月より新体制がスタートし、より入居者様との距離を縮め皆様を家族の様に思い、穏やかに、楽しく、いつも笑顔が絶えない場所にしたいと思います。
春の思い出
- 豆まき♪
赤鬼めがけて投げた玉が見事に大当たり!
“アイタタ~”と赤鬼も逃げ出すしかありません。 - 昼食に…
昼食にお寿司の提供です。
どれから食べようか思案中です。 - 春の壁紙作り
レクリエーションで桜の壁紙を作りました。
躍動感ある壁紙から今にも桜の花びらが舞い散りそうですね。 - チューリップと一緒に♪
春の陽気に誘われお散歩に♪
満開のチューリップ達が出迎えてくれました。赤・黄色・ピンクどのチューリップも綺麗です。 - 近くの公園に…
満開の桜の下で休憩です。桜を眺めていると春の訪れを感じますね。
のどかな公園でゆっくりと過ごします。 - トライアングルス
毎年恒例のコーラスボランティアの皆様に来ていただきました。素敵な歌声と懐かしい曲目に思わず口ずさんでいました。
私の青春半生期
私は大牟田市船津町に四人兄弟の長男として生まれました。
父は厳格な教育者で躾には厳しかったのが記憶にあります。
母は優しい人で四人の子育てに懸命だったと思います。
子供の頃の私は快活な子で勉強はあまり好きではありませんでしたね。
平和な町にも戦争という時代がやってきました。大変な時代で、まともに学校にも行ってないね。
戦災者であったこともあって、仕事も好きな様に選べる時世ではなく、16才になっていた私は国鉄に就職し今もある竹下駅の機関区でした。
専門の学校に行っていたこともなく、入職すると客車の点検が主な業務で先輩の働きを見ながら仕事を覚えました。
平和な時代になり、20代の私の楽しみは野球観戦でした。休みの日には平和台野球場へ行ってましたね。
当時、西鉄クリッパーズというプロ野球チームがあって、1年後は西鉄ライオンズになったんですがね。
その頃は野武士軍団とか言って豊田泰光が活躍して、よーく打ってたよ。
稲尾和久も有名やったね。懐かしい思い出です。
勉強は好きではなかったけど英語の勉強をしたいと思う様になり、独学で50才頃に英検3級に合格しました。コツコツ勉強するのは楽しかった。
二人の弟は西南学院大学とハワイ大学に進学したね。僕は勉強好かんかったから(笑)。
定年前は教官として現場の実施指導で務め上げました。
いろんな体験もありましたが、穏やかに過ごせることが一番と思いますね。
文、藤好良紀 様
ユニットリーダー紹介
ひまわりユニット介護長
竹野内 由美子
四月からひまわりユニットを担当させていただくことになりました。
また初心に返り入居者様とのコミュニケーションを大事にしながら居心地良く安心して過ごしていただけるようサービスを提供させていただけたらいいなと思っております。
あじさいユニット介護長
荒木 久美
入居者様の声を聞きながら安心して生活していただける様に支援していきたいと思います。
宜しくお願い致します。
コスモスユニット介護長
蒲原(かもはら)知恵子
人生の先輩(入居者様)にいろいろな事を学び日々寄り添った支援をさせて頂きたいと思います。
宜しくお願いします。
回想記
「昔は良かったなぁ~」と言うと「それは歳をとった証拠」と云われませんか?
“想い出”は自分が歩いてきた足跡ですから、とても大切な“宝もの”でしょうね~。
昔、と云っても終戦後ですが、大分の田舎にも進駐軍のトラックが来ていました。
ハローと言って手を振ると、青い瞳の兵隊さんがガムやチョコを投げてくれたり子供を抱き上げる軍人もいて、怖いけどやさしい人達でした。
そんな米軍に比べ日本の車はとてもみじめに見えましたねぇ。
エンジンの代わりに農家の発動機を使った“発動機馬車”はうるさい割にはとっても遅く、歩いた方が早かった。
こんな時代なのに、夕暮れになると点々と並ぶ誘蛾灯の青い光が田園を照らし、夢のように不思議な夜景になるのです。
近づいて見ましたが、今で言う青色蛍光灯のようでした。
こんな穏やかな村でしたが、私は1歳のとき近くの千年淵と呼ばれる大川に落ちたのです。
途中にあったあざみに掴まっていて、下半身は急流に呑まれそうだったとのことで「普通では考えられない」「この児は神様が助けた」などのうわさが広まったようでした。
その後2年ほど祖父母に預けられた私は、なぜかいつも赤い着物を着せられ、腰ひもで柱につながれ、まるで犬のようだったと姉がよく笑っていました。
兄弟で竹馬やソリ遊び、雨が降ると山沿いでサワガニ獲りに夢中でした。
お菓子がない時は近くの横穴洞窟に米をもって行くと“かんじん”と呼ばれる住人が饅頭をくれました。
毎日、動物の世話をしたり、遊んでばかりでしたが、小学1年の途中で母の里筑豊に引っ越しました。
後日、思い出の少ないこの地を訪ねてみましたが、なつかしさに涙が止まりませんでした。
想い出は本当にいいですよね。今夜は布団の中でなつかしい想い出に涙しましょう。
涙で心が洗われて、きっと明日への活力につながることでしょう。
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今後の行事予定
5月 ・ゆめタウン買い物ツアー
・男子会6月 ・菖蒲見学(太宰府天満宮内)
・紫陽花見学(天拝山歴史自然公園)
・男子会
・みんなでお寿司をたべよう7月 ・七夕飾り作成
・入居者作品展
・買い物ツアー
・男子会 -
今後の行事食予定
5月 ・節句膳
・お楽しみ弁当6月 ・紫陽花弁当
・郷土料理7月 ・七夕御膳
・郷土料理
・鰻丼